2023.11.21 Tue
人間文化学科トピックス一覧
【人間文化学科】桜坂高校で英語の授業参観
11月14日(火)、人間学部人間文化学科の英語教職課程の3年生3名が、宮城県石巻市立桜坂高等学校で英語の授業参観を行いました。拝見したのは木村州哉先生による2年生の「英語コミュニケーション」で、社会問題を扱うセサミストリートを紹介する文章が扱われました。授業はほぼ英語で行われ、動画を見たりペアで話したりする機会や、生徒たちの考えを引き出すような問いが多い授業はとても新鮮でした。
授業後には、先生のお話を伺い質問をする時間を1コマ分設けていただきました。生徒が英語を好きになり、自分の考えを伝えられるような授業をするという木村先生の熱意に刺激を受け、学生たちからも次々と質問が出され時間が足りないほどでした。帰りの車でも興奮冷めやらず感想を言い合うような、学びの多い授業参観となりました。
■参加した学生の感想
?只野 一騎さん(人間学部人間文化学科3年次)
木村先生の授業はとても参考になる点が多かったです。まず生徒を英語に触れさせるという狙いでYouTubeなどで色々な動画を集めて、見せていました。後で聞きましたが、一回の授業に2、3時間準備に時間をかけているそうです。教材研究の大切さを肌で感じました。さらに授業の大半を英語で行うことで、リスニングだけではなく、4技能もバランス良く学習させることができると仰っていて、とても勉強になりました。
?藤原 佑翼さん(人間学部人間文化学科3年次)
今回、授業を参観させていただいた中で感じたことは、生徒の関心や理解を中心に授業が考えられているということです。導入の段階でゲームやwarm upの活動で生徒の関心をひきつけ授業に参加させようとする工夫がなされており、非常に有意義な時間でした。 また、授業の基本的な会話(指示文)が英語で行われており、大体の生徒は指示の内容を理解している様子に驚きました。
授業後の先生との対談においては、英語学習のモチベーションアップや受け身にさせないことの重要性、視覚教材の扱い方と注意点など、ためになることを数多く教わることができ、とてもいい機会になりました。
?工藤 太一さん(人間学部人間文化学科3年次)
参観させていただいた授業は、前置詞や単語、文法の正確性を理解してもらうためのものではなく、英語に触れてどのようなことを言っているのか、自分の考えを引き出すような、従来の授業のような正解不正解が厳密でない授業で、主体的?対話的な学びを促すようなものでした。生徒たちも主体的で、わからないところがあったら助け合ったり、意味を確認している様子も見ることができました。改めて、英語教育とはどのようにあるべきなのか、なんのために行うのか、自分の中で吟味する必要にあるように感じた授業でした。
授業後には、先生のお話を伺い質問をする時間を1コマ分設けていただきました。生徒が英語を好きになり、自分の考えを伝えられるような授業をするという木村先生の熱意に刺激を受け、学生たちからも次々と質問が出され時間が足りないほどでした。帰りの車でも興奮冷めやらず感想を言い合うような、学びの多い授業参観となりました。



?只野 一騎さん(人間学部人間文化学科3年次)
木村先生の授業はとても参考になる点が多かったです。まず生徒を英語に触れさせるという狙いでYouTubeなどで色々な動画を集めて、見せていました。後で聞きましたが、一回の授業に2、3時間準備に時間をかけているそうです。教材研究の大切さを肌で感じました。さらに授業の大半を英語で行うことで、リスニングだけではなく、4技能もバランス良く学習させることができると仰っていて、とても勉強になりました。
?藤原 佑翼さん(人間学部人間文化学科3年次)
今回、授業を参観させていただいた中で感じたことは、生徒の関心や理解を中心に授業が考えられているということです。導入の段階でゲームやwarm upの活動で生徒の関心をひきつけ授業に参加させようとする工夫がなされており、非常に有意義な時間でした。 また、授業の基本的な会話(指示文)が英語で行われており、大体の生徒は指示の内容を理解している様子に驚きました。
授業後の先生との対談においては、英語学習のモチベーションアップや受け身にさせないことの重要性、視覚教材の扱い方と注意点など、ためになることを数多く教わることができ、とてもいい機会になりました。
?工藤 太一さん(人間学部人間文化学科3年次)
参観させていただいた授業は、前置詞や単語、文法の正確性を理解してもらうためのものではなく、英語に触れてどのようなことを言っているのか、自分の考えを引き出すような、従来の授業のような正解不正解が厳密でない授業で、主体的?対話的な学びを促すようなものでした。生徒たちも主体的で、わからないところがあったら助け合ったり、意味を確認している様子も見ることができました。改めて、英語教育とはどのようにあるべきなのか、なんのために行うのか、自分の中で吟味する必要にあるように感じた授業でした。